家来というと、なんでも言うことを聞いてくれる存在のように思います。でも、犬・猿・キジはそうではない。彼らは家来というより、鬼退治をする仲間なのでしょう。
そして、鬼。鬼は実は、私たちの心に住んでいるのです。
鬼ヶ島の鬼を、「心の鬼」におきかえて、私の実体験をおりまぜながら考えてみましょう。
私は十六歳でお坊さんになることを志しました。そして、十八歳まで滋賀の瓦屋寺で、その後二年間は京都の法輪寺で、さらに大学四回生の時には神戸の祥龍寺で小僧修行をさせて頂きました。
小僧修行の後は、とっても厳しい修行が始まります。その修行道場としてある埼玉県の平林僧堂に行く時、師匠から「歩いて行くように」と言われました。師匠の命令は絶対なんですよ。昭和五十七年四月十二日に神戸を出立。途中いろいろなお寺の本堂の隅で寝かせてもらいながら歩きました。そして六日目。滋賀の瓦屋寺に着いた時、そこの住職から「いま頃歩いていたら入門に間に合わん。急いで行け」と言われ、八日市からヒッチハイクしながら埼玉まで行きました。
さて、私にとって鬼が島はこの平林僧堂でした。でも、私には同期の三人の仲間がいたんです。彼らが犬・猿・キジだったのかもしれませんね。互いに励まし合いながら、一番つらい時期を乗り越えました。
修行中の三年間に、自分の心に住む鬼に気づきました。それは、「眠い」「休みたい」「逃げたい」という「心の鬼」だったのです。まさに鬼との格闘の日々でした。一人では耐えきれないこの鬼をいっしょに退治してくれたのが、同期の三人の仲間でした。
人生における心の鬼は「むさぼり」「いかり」「ぐち」ですが、これはなかなか退治できません。だからこそ、君には励まし合える「犬・猿・キジ」の仲間を作ってもらいたい。仲間は君の宝物になると思いますよ。
臨済宗建長寺派布教師会副会長、臨済宗連合各派布教師、小田原市川東仏教会副会長。
昭和35年、滋賀県生まれ。16歳の時、臨済宗妙心寺派・瓦屋寺徒弟として出家。花園大学仏教学科卒。在学中に京都・法輪寺、神戸・祥龍寺にて小僧修行。大学卒業後、埼玉・平林寺専門道場にて雲水修行。昭和61年臨済宗建長寺派、小田原・東学寺住職に就任。昭和62年開単の坐禅会は33年継続され多くの参加者の心のよりどころとなっている。
仏教情報誌『大法輪』にも原稿を提出し、広く仏教布教に力を注いでいる。著書に『めんどうな心が楽になる』(牧野出版・共著)など。