ここでみんなと考えたいことがある。桃太郎が鬼を降参させて、さらに鬼の一族を殺してしまったらどうなっただろう。桃太郎がとても頭脳明晰で将来までを考え、鬼が絶対に仕返ししないようにしたとしたら。強いのはわかるけれどちょっと酷いなあと意見が分かれるところだ。
昔話や童話は、時が経ったり、舞台が変わったり、物語を書く人が変わると、違うものになることがある。桃太郎の昔話も変わる。壱万円札の顔で知られる福沢諭吉。当時、鎖国から文明開花にあった日本。まだまだ欧米列強からは一人前とみなされないから不平等で損ばかりだったのを、桃太郎がガイジン、鬼が日本と置換えているよ。鬼ヶ島から宝物を持ち帰っておじいさんとおばあさんにあげたのは、ただの欲の塊だとしている。芥川龍之介はどうして鬼ばかりが責められるのかと話を切り替え、正義のもとに理不尽が過ぎると憎しみの繰り返しが起きて、さらに大きな戦争になると警告している。いまもし戦争が起きれば核爆発で地球そのものが破壊さ れてしまう。東京羽村にある崇禅寺のお地蔵さんの版木にはこんな言葉が彫られている。
にくみても にくみかえして にくまれる
にくみにくまれ はてしなければ
国や地域も違えば、食べ物も着ているものもことばも習慣や考え方も違ってくる。多様性を受け入れてお互いを尊重しようというのは太平洋戦争が広島・長崎の原爆で終結し七十年経ってようやくできつつあるルールなんだ。みんなが守らないものはルールにならない。だからルールにも強さが必要なのは当然のことだ。
戦争はいけない。でもね武力があるから攻めてこないわけで武器を全く持たないで、平和平和と唱えていてもダメなんだよね。伊達政宗なら宮城県、徳川家康なら本州といった土地が平和だったのは武力があってのこと。いざというときは立ち向かう準備があったから。武という字を漢和辞典で引いてごらん。武力があっての平和とあるはずだよ。一見、わかりにくいけど、こういう話と向き合う時代に入ったということなんだ。
元々、この地にはお侍の墓がありおてらがあったようです。1352年に建長寺46世だった帰山光一禅師が来られ、建長寺派のおてらとして始まりました。江戸時代には領主佐橋氏のもと、檀家の皆さんは平和を迎えます。農作業に精を出し、大名行列が東海道を往来すると人々は道普請に駆り出されました。明治には廃仏毀釈の嵐を受け、首を斬られた観音さまがいまもそれを物語っています。
古いものを大事につかう、野菜はつくる、安全な食をする、除草剤を一滴も使わない、生ゴミは堆肥にするなど環境にやさしい暮らしを実践し広めています。
吉川道源きっかわどうげん
昭和42年生まれ。青山学院大学経済学部卒業。民間勤務ののち建長寺僧堂で4年間学びました。平成11年に広済寺住職と兼務となる東円等、慶徳寺住職を拝命。神奈川県仏教青年会では財務6年、救援2年、事務4年の局長を経て会長就任。と同時に全日本仏教青年会副理事長となるので東日本大震災のボランティア活動や慰霊法要等で、平成29年まで全国を行脚しておりました。
らくがきご朱印が有名で(株)JTBパブリッシング刊行の「御朱印さんぽ」他にも紹介されました。食育のインバウンド受け入れを通じ、メソジスト派チャプレンのスーザン・八ート女史との諸宗教対話活動や大手企業の社員研修にも盛んに取り組んでいます。
現在 日本ヒューマンセしモニー専門学校非常勤講師、建長寺英語坐禅会スタッフ、伊勢原市仏教会副会長。ビオトープと箱庭づくりが大好き。モットーは「遠回りは近道」「いつも笑いを」