0%

鬼にも思いやりをもって接する

 桃太郎は、子供がいなかったおじいさんとおばあさんのところにある日ひょっこりやってきた、天からの恵みであり、宝物でした。そして二人に大切に大切に育てられて、立派に鬼たいじをするまでに成長しました。ではそもそもなぜ、桃太郎の心に「鬼をたいじして宝物をとりかえそう」という思いが生まれたのでしょう?当時の村では、鬼に田畑をだめにされたり、家の物はおろか、子供たちまで連れ去られたりした不幸な人たちがたくさんいたはずです。食べるものもなくて困った村人が、他の人の農作物を盗んだりしたかもしれません。「お前のところは子供がさわられなかっただけマシだ」と言う人がいてケンカになったかもしれません。おじいさんやおばあさんだって例外ではありません。鬼たちに物をとられて、わずかなお金も奪われて、大変貧しい暮らしをしていたでしょう。それでもおじいさんは真面目に芝刈りをして、おばあさんはそんなおじいさんを支え、二人で命をつないで生きてきました。

 桃太郎の鬼たいじをもう一度、思い出してみて下さい。桃太郎は鬼たちをこらしめはしましたが、殺したり、牢屋に閉じ込めたりはしませんでした。鬼たちはこらしめられたあと、桃太郎に「もうわるさはしません」と約束しましたが、しばらくしたら平気で裏切って、桃太郎にばれないように、今度は違う村の人たちをおそったかもしれません。鬼たちを殺したり、閉じ込めたりしなかったのは桃太郎の慈悲(じひ)です。慈悲とは仏教の言葉で、どんな相手に対しても、思いやりをもって接する心の持ち方のことです。
現代は戦争がくりかえされたり、テロ事件で多くの人が命を落としたりする時代です。「やられた分だけやり返す」という考え方は、終わりの無いにくしみ合いを世界中に生み出します。恨(うら)み、憎(にく)しみの心は恐ろしいウィルスのように他の人に伝染(でんせん)するのです。もし桃太郎のおじいさんかおばあさんが、鬼たちへの恨みの思いを桃太郎に語っていたとしたら、その憎しみは桃太郎の心に伝染して、きっと桃太郎は鬼たちを殺していたでしょう。おじいさんとおばあさんは、桃太郎という奇跡の子供を天から授かったことをいつも感謝していました。自分たちの食べるものが足りなくても桃太郎に食べさせるくらいに、美しい心で桃太郎を愛し、育てたからこそ、桃太郎はおじいさんやおばあさんに対してはもちろん、全ての村人を助けてあげたいと願うような、強くて優しい子に育ったのです。そしてその優しさは敵である鬼たちに対してすら向けられました。本当の強さとは、誰かを倒したり殺したりする力ではなく、人や全ての生き物を守ることのできる力のことです。

 私は思うのです。鬼たちはあのあと、きっともう悪さをすることはなく、鬼ヶ島で自給自足(じきゅうじそく)の平和な生活をしたのではないかと。そしていつか、鬼ヶ島でとれたおいしい食べものを持って村にやってきて、村人の育てた野菜と交換したりして、仲良く交流を続けたのではないかと。もしかしたら今の私たちには、むかしむかしの人間だけでなく、やさしくて力持ちの鬼さんたちの血が、少しだけ混ざっているのかもしれませんね。

林香寺 川野泰周(かわのたいしゅう)

 横浜市の南の方、磯子の海の近くに600年ほど前からあるお寺で、19代目の住職をしています。精神科の医師として都内や横浜市内のクリニックで診療に従事する、「二足の草鞋」の生活をしています。近年では、仏教や日本の禅をもとにした「マインドフルネス」という瞑想などを活用した心の治療法を広く普及させたいと思い、本をいくつか出版したり、各地で講演をしたり、NHKラジオのコーナーを担当したりもしています。

 林香寺は観光寺院ではないので小さな庭くらいしかありませんが、本尊の脇に立っておられる「十一面千手観音菩薩」の木像は地元では「枕返し観音」として有名なありがたい仏様です。昔、村の人がこの観音様に足を向けて寝たところ、朝になると頭が向いて目が覚めたそうです。何度やってみても不思議と朝になると頭が観音様の方を向いていることから、きっと霊験あらたかな仏様に違いないと、多くの人たちがお参りするようになったそうです。私もこの観音様のお顔をながめると、いつも穏やかな心になれます。お近くにお越しの際は、一度お参りにいらして下さい。

Previous

Next